JR東日本では、全車両が2階建ての構造になっている「Max」シリーズの新幹線をE1系とE4系の2種類保有していますが、車両の老朽化と今後の運用形態の変化に伴い、段階的に廃止していく方針を固めたようです。 印西・千葉ニュータウン情報、バレーボールのことなどを雑記と交えてお届けするブログ。, 子どもが「新幹線の2階に乗りたい」というので、2階建のマックスときの時間に合わせて出発します。, 娘がが乗りたいと言った2階ですが、娘は塗り絵をしたりトランプしたりで時間を潰していました。そんなに景色見ないのね。。。, 2階席のあるマックスときはE4系と呼ばれます。このE4系は2020年度末、つまり2021年の3月で廃止となります。, E4系のあとは、北陸新幹線で使用されるE7系という車両に置き換えるそうです。北陸新幹線は金沢行きで、東京駅では新潟行きと同じホームに停まります。, 新幹線のホームはいろんなタイプの車両が見れて新鮮でしたが、見た目が同じ車両が増えていくのは少し寂しい気もしますね。, 牛たん弁当を選びました。仙台に行くわけではないです。黄色のヒモを引っ張るとアツアツの蒸気が出て、ホカホカで食べられるヤツです。, 天気が良くて、遠くまでみえました。1階とはまるで風景が違います。1階はほとんど壁が見えるだけ。, トンネルが続きます。上越新幹線はトンネルが多く、景色を楽しめる期間は意外と短いなぁ。, ここから子どもたちは窓の外を見るのが楽しくなったようで。雪景色を見ながら「お外行きたーい」「遊びたーい」とキャッキャと楽しんでいました。, トンネル内の窓は鏡のように車内が映ります。自分大好きな方は、景色より嬉しいかもしれません。, トンネル内ではスマホの電波繋がらないしWi-Fiも無いので手持ち無沙汰になります。上越新幹線の欠点の一つですかね。, 新潟と言うと「冬は雪で1階が埋まるから、2階から出入り」みたいなイメージを持つ方もいるようですが、それはごく一部の地域のみ。新潟市内は年に数回ドカっと雪が積もる程度です。, マックスときの1階では、こんなに風景は楽しめません(トンネル内で自分の顔を楽しむことはできます。, 普通の1階のみの車両とも、外の見え方は違います。2階だと壁がほとんど見えないので、全面に外の景色が見える感じです。, 一つ目は、階段があるということ。バリアフリーが叫ばれる昨今、階段がある乗り物は人によっては乗りにくいでしょう。, 我が家もちょっと前まではベビーカー必須でした。ベビーカーで2階建の車両に乗るのは避けたいと思いますしね。, 廃止となる理由は、2018年から使用期限を迎える車両が出てくる、とのこと。交換しながら続けることもできると思いますが, マックスときE4系が無くなるのは残念だけど、座席の快適さがアップしたりサービス向上するのは良いこと。次の車両に期待しつつ、2020年度末まではE4系を楽しみたいと思っています。, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。. 上越新幹線(じょうえつしんかんせん)は、大宮駅から新潟駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の高速鉄道路線(新幹線)およびその列車である。ほぼ全ての列車が東北新幹線に乗り入れ東京駅を発着しているため、旅客案内上は同新幹線の東京駅 - 大宮駅間を含む東京駅 - 新潟駅間が「上越新幹線」と案内される。, 本項では、上越新幹線と歴史的に関わりが深い新潟県上越地方や北陸三県(富山・石川・福井)と首都圏との往来についても触れる。, 上越新幹線は1971年(昭和47年)に全国新幹線鉄道整備法第4条第1項の規定による『建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画』により公示された3路線のうちの一つである。同年4月に整備計画が決定され着工された。日本鉄道建設公団によって建設され1982年に大宮駅 - 新潟駅間が開業した[1]。日本国有鉄道(国鉄)により運営されていたが、国鉄分割民営化後、上越新幹線は東日本旅客鉄道(JR東日本)により運営されている[1]。, 東京駅 - 大宮駅間は線籍上は東北新幹線であるが、大宮駅を始終着とする列車はなく、ほぼ全ての列車が東京駅(一部の列車は上野駅)発着であり、同区間を含む東京駅 - 新潟駅間が「上越新幹線」と案内される。大宮駅 - 高崎駅間には北陸新幹線直通列車も運行されているが、当路線とは独立した運行形態であるため、大宮駅 - 高崎駅間においても「北陸新幹線」と案内されている。, 群馬県と新潟県の県境を挟む区間(高崎駅 - 長岡駅間)は日本列島の中央分水嶺である三国山脈を横断するため、多くの区間がトンネルである。また、豪雪地帯である新潟県内を中心にスプリンクラーによる融雪設備を備えるほか、新潟県内の駅では線路・プラットホーム全体が屋根で覆われるなど、雪害対策が施されている。これにより、雪による運行上の障害は少ない。平野部(関東平野・越後平野)では、大部分が高架上を走る。, 従来の東海道・山陽新幹線や東北新幹線と異なるのは、"本州を横断する新幹線"であるという点である。本州の太平洋側と日本海側を結ぶ初の新幹線であり、首都圏方面から日本海側の各都市(具体的には越後湯沢駅や長岡駅での乗り継ぎで新潟県上越地方および富山・金沢方面が、新潟駅での乗り継ぎで新潟県下越地方および山形県庄内地方・秋田県方面)がそれぞれ従来より短時間で結ばれた(その後、上越地方および富山・石川県方面への輸送は2015年開業の北陸新幹線に大部分を譲った)。, 「上越」の名称は並行在来線の上越線(高崎駅 - 宮内駅間)から由来するもので、群馬・新潟両県の旧令制国名(上州と越後)に由来する。上越地方(新潟県西部)は経路に含まない。, 越後湯沢駅 - ガーラ湯沢駅間は、冬期間のみ営業する区間である。新幹線車両しか使用されないが、線籍上は上越線の支線で在来線扱いとなっている。, 最高速度は全線で240km/hであり、大半の区間が直線主体の線形であるため、最高速度での走行が可能である。ただし、高崎駅 - 上毛高原駅間の「中山トンネル」については建設時にトンネルが水没する大出水事故が2回起き、結果的に当初計画から迂回するルートに変更され、半径1,500 mの曲線が介在する線形となっており、同トンネルでは160 km/hの速度制限を受けることとなった[2]。, なお、長岡駅 - 新潟駅間は基本計画路線に入っている羽越新幹線との共用区間であるが、基本計画決定以降こちらの建設については動きはない。, かつてJR東日本の新幹線では、全体の運行管理業務を本社内の新幹線運行本部が統括する一方、保線管理や駅営業業務等の現業機関については地方支社が新幹線と在来線の双方を一体管理する組織体系を採っていたが[注 2]、新幹線統括本部の発足により、各支社は新幹線において駅の施設管理・営業業務、ならびに工務関係の支援のみを担うようになった。, 乗車人員は東日本旅客鉄道の駅の内、新幹線のみの数値[4]。なお、越後湯沢駅 - ガーラ湯沢駅は在来線の上越線に属するため、在来線の人員で計上される。は前年度に比較した増()減()を表す。, 起終点の大宮駅と新潟駅を除いて、通過線を有する。直通先の上野駅と東京駅にも通過線はない。ホームドアは新潟駅の「のりかえホーム」のみに設置されている。, ※支線のガーラ湯沢駅は冬期間のみ営業。越後湯沢駅 - ガーラ湯沢駅は書類上は在来線の上越線に属する。, 上越新幹線では、東北新幹線と同様に、開業時には在来線とほぼ同様の様式の駅名標が設置されていたが、JR東日本発足後に順次同社標準の駅名標に交換されている。, なお、東海道新幹線や山陽新幹線ではそれぞれに独自仕様の駅名標が設置されていたが(前者は1970年代中頃に、後者は国鉄時代末期より順次交換されたため現存していない)、上越新幹線および東北新幹線では独自仕様の駅名標を採用しなかった。, 東京駅 - 新潟駅間を通して運転する「とき・Maxとき」はおおむね1時間に1 - 3本の運行。停車駅は列車ごとに異なるが、途中上野駅・大宮駅・高崎駅と、越後湯沢駅 - 新潟駅間の各駅に停車するものが標準的である。2013年3月16日のダイヤ改正以前は、朝に1日1往復のみ東京駅 - 新潟駅間ノンストップ列車が存在していた[報道 1]。越後湯沢駅・長岡駅 - 新潟駅間を区間運転する「とき」「Maxとき」は、全列車が各駅停車である。, 東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間の区間運転列車である「たにがわ」「Maxたにがわ」は、臨時列車や「Maxとき」と併結する列車を除いて全列車が各駅停車である。, 2015年3月14日のダイヤ改正で「Maxとき310号」が大宮駅に停車することになったため、大宮駅を通過する上越新幹線の定期列車はなくなった。, 1987年に上野駅 - 新潟駅間を途中長岡駅のみに停車する最速達列車に1桁台(例:あさひ1号)の号数が割り当てられた。以降も東京駅 - 新潟駅間の最速達列車に1桁が割り当てられたが、現在は全て上記のように統一されている。なお、繁忙期の一部の臨時列車には1桁や2桁の号数が使われている。, ガーラ湯沢駅開業からしばらくの間は、越後湯沢 - ガーラ湯沢間のみを走る「シャトル・ガーラ」が運転されていた。列車番号は92xxCが割り当てられていた。1995年頃からは運転されていなかったが、2015年3月14日のダイヤ改正で「たにがわ」が運転されない時間帯が発生したため、2015年度と2016年度は同区間のみを走る「たにがわ」が運転されることとなった。博多南線同様に全車自由席で、グリーン車は閉鎖されていた。しかし、2017年度はこの区間運転の列車は運転されなくなり、「たにがわ」の運転のない時間帯は、従前から運行されている越後湯沢駅発着の無料シャトルバスを利用することになる[7]。, 新潟駅に発着する列車(東京駅・越後湯沢駅・長岡駅 - 新潟駅間運転の列車)が「とき」「Maxとき」、それ以外の東京駅 - 高崎駅・越後湯沢間の区間運転列車が「たにがわ」「Maxたにがわ」と分けられている(一部臨時列車を除く)。, 1982年の開業当初は東海道・山陽新幹線にならって、「ひかり」に相当する速達タイプを「あさひ」「こだま」に相当する各駅停車タイプを「とき」としていた。, 1997年10月1日、JR東日本は、長野新幹線(北陸新幹線東京駅 - 長野駅間)の開業に合わせて東北・上越両新幹線の列車名を運行区間別とする愛称の再編を行った。それによって東京駅 - 新潟駅間の列車は全て「あさひ」、東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間の列車は全て「たにがわ」とし、「とき」の愛称は東北新幹線の「あおば」とともにいったん消滅した。, しかしながら、後述の理由により「あさひ」の愛称は2002年12月1日のダイヤ改正で廃止され、「とき」の名称が5年ぶりに復活した。, すべての定期列車と一部の臨時列車は、東京寄りに普通車自由席3両(または4両・5両)を連結した一部指定席扱いで運行されるが、とき359号など全車指定席で運行される臨時列車も存在する。, 「とき」・「Maxとき」は、東京駅・越後湯沢駅・長岡駅 - 新潟駅間で運行される上越新幹線の主力列車。使用車両は、「とき」がE2系・E7系、「Maxとき」が2階建車両E4系である。, 最速列車は東京駅 - 新潟駅間の所要時間が1時間37分。途中停車駅は大宮駅のみという列車もあれば、全区間各駅に停車するタイプ・途中本庄早稲田駅のみ通過するタイプも存在する(号数は全て300号台)。またMaxとき310号に限っては、2015年3月13日まで越後湯沢駅 - 東京駅間ノンストップであり、大宮駅も通過した。, 2階建車両E4系「Max」で運転する列車のうち、「Maxたにがわ」を併結する列車は高崎駅または越後湯沢駅で分割・併合を行っている(東京駅 - 越後湯沢駅・高崎駅間は8両編成を2本併結した16両編成、以降新潟駅までは8両編成)。越後湯沢駅・長岡駅 - 新潟駅間のみを走行する区間運転列車は全て各駅停車である。, 上越新幹線開業前日の1982年11月14日までは、上野駅 - 新潟駅間の在来線特急列車の愛称だった歴史があり、新幹線開業後も上記の通り各駅停車タイプの列車愛称として承継された。1997年10月1日に東北・上越新幹線の列車愛称再編のため一度消滅したが、残った「あさひ」と長野新幹線(現:北陸新幹線)「あさま」とは1文字違いのため紛らわしく誤乗が頻発したことや、「佐渡島のトキ」という新潟県を象徴する観光資源とも関係の深い名であったことなどから、新潟県内を中心に「とき」の復活を求める声が廃止直後から強く、新潟県などの関係機関からもJR東日本に対し列車名を「とき」に変更するよう要請が行われた。このような経緯から、2002年12月1日に「あさひ」を「とき」へ改称する形で、5年ぶりの復活を果たした。一度消滅した新幹線の愛称が復活したのは「とき」が唯一の例である。, 「たにがわ」「Maxたにがわ」は、東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間で運行される近距離列車で各駅に停車する。使用車両は、「たにがわ」がE2系・E7系、「Maxたにがわ」が2階建車両E4系である。, 越後湯沢方面の定期列車(400 - 417号)は、全て各駅停車である。また、一部の「Maxとき」と併結する列車は、高崎駅または越後湯沢駅で分割・併合する列車もあるが、これは主に朝・夕のラッシュ時にみられる。冬季期間においては、ガーラ湯沢駅まで延長運転されるものもあるほか、東京駅を発着する臨時列車も多数運転される。臨時列車の中には、途中駅を通過するタイプもある。この列車は、基本的に越後湯沢駅 - 新潟駅間に入線することはないが、2004年夏には臨時列車で新潟駅発上野駅行き、新潟駅発東京駅行きの「Maxたにがわ」が設定されたことがある[報道 2]。現在はおおむね朝と夕・夜間の運転となっている。, 運賃は営業キロに基づいて算出する。東京駅 - 新潟駅間の営業キロは、並行する東北本線(東京駅 - 大宮駅間)・高崎線(大宮駅 - 高崎駅間)・上越線(高崎駅 - 宮内駅間)・信越本線(宮内駅 - 新潟駅間)のそれと同一になっている。東京駅 - 新潟駅間の営業キロは333.9キロで、東京駅 - 新潟駅間の新幹線の実際の距離(300.8キロメートル)より1割ほど長い。ただし、大宮駅 - 熊谷駅間の営業キロは実際の距離より短い。これは、大宮駅を発車すると約8キロメートルにわたり東北新幹線の線路と並んでほぼ北進し、その後、高崎線と平行するために西へカーブするという線形をたどっており、ほぼ北西に直線で走る高崎線の距離のほうが短いためである。, 特急料金は、「三角表」と称するものにより各駅間個別に定められている。一方、この各駅間の特急料金は当該区間の営業キロに基づいて算出されたものである。2019年10月1日改定の営業キロに対応する特急料金、およびその他の特定の区間の特急料金は以下のとおり[10]。, 東京駅 - 高崎駅間は北陸新幹線と共用するため、その区間内[注 5]であれば、JR西日本のe5489で予約した乗車券と特急券の受け取りが可能である。, なお、JR東日本は2007年3月のダイヤ改正以降、東北・上越・山形・秋田の各新幹線[注 6]および在来線特急列車の全てを禁煙車とし、喫煙ルームなども設けていないため、車内での喫煙はできない。, 東海道新幹線は開業4か月目で雪害の影響により列車の定時運行ができなくなった。そのため、寒冷・豪雪地帯を通過する東北・上越新幹線では10年に1度の積雪量に対しても正常に運行することを目的に「新幹線雪害対策委員会」が設立され、その成果が実際の雪害対策に反映された。東北・上越新幹線では10年以上かけて沿線の気象調査や技術開発が行われ、沿線の状況に合わせた雪害対策が取られた[11]。東海道新幹線では盛土が54%、全区間バラスト軌道であったが、上越新幹線では高架橋が49%、トンネルが39%であり、軌道はスラブ軌道が90%、バラスト軌道が10%となっている[12]。さらに、上越新幹線沿線では比較的気温が高く、雪質が重いことや、降雪量が平年で最高3 mにもおよび、列車が走行する時に排雪する雪を高架下に貯める貯雪式では対応不可能であると想定された。これらの事情を踏まえて、上越新幹線では散水消雪方式の採用が決定された[13]。1972年(昭和47年)の方針決定から1977年(昭和52年)にかけて新潟県南魚沼郡大和町(現・南魚沼市)に消雪試験場として九日町高架橋(延長971 m)を建設し、6冬にわたる開発試験が行われた。散水消雪設備は上毛高原駅 - 新潟車両基地間の157 kmのうち明かり区間79 kmに設置されている[14]。水源は河川水やトンネル湧水で[15]、加熱装置によって約10℃に加熱されてスプリンクラーによって散水される。散水量は降水量に換算するとバラスト軌道区間で72 mm/h、スラブ軌道区間で42 mm/hとなっている[16]。雪を融かした水は高架橋に設けられた排水溝を勾配に沿って流れ、消雪基地に回収されて再利用される[14]。, また、トンネル間の短い明かり区間にはスノーシェルターを設けることで高架橋への積雪を防止している[17]。, なお、上毛高原駅 - 新潟駅の各駅では雪害対策のためホーム全体が屋根で覆われているが、特に豪雪地帯である越後湯沢駅、浦佐駅、長岡駅の3駅では屋根上に散水して消雪する方式をとっている[18]。, 上越新幹線では沿線に約20 km間隔で設置された地震計を用いた沿線検知システムが設置された。東北新幹線では海岸線に約80 km間隔で設置された地震計を用いた「海岸線検知システム」が導入されたが、太平洋側に比べて地震が少ないため、日本海側の沿岸には地震計が設置されなかった[19]。1982年の開業当時は初期微動を引き起こすP波を用いた警報が実用段階ではなかったため、主要動を引き起こすS波の加速度の大きさを基準とした警報が導入された[20]。地震計が設置されている場所の加速度が設定値以上になると警報が発せられ、予め決められた警報範囲で変電所からのき電を停止し、列車の非常ブレーキが作動することで列車防護を行うものであった[19]。, 1975年から国鉄において、P波から地震の規模や位置を推定するアルゴリズム(早期検知アルゴリズム)の研究が行われ、世界初のP波警報システムである「ユレダス (Urgent Earthquake Detection and Alarm System)」の開発が進められた。ユレダスは1992年に東海道新幹線で導入が開始され、1998年には上越新幹線においても導入された。ユレダス導入によってP波およびS波の2種類の警報判定が可能になり、S波到達より早く新幹線の停止信号を送ることが可能になった[21]。, その後、最新の観測技術や高速ネットワークに対応し、早期探知アルゴリズムを改良した「早期地震防災システム」が開発された[22]。, 2004年に発生した新潟県中越地震による上越新幹線脱線事故を受けて、新幹線車両が地震などにより脱線した場合でも、車両がレールから大きく逸脱することを防止する「車両逸脱防止L型ガイド」を開発し、2008年度上期までに全ての新幹線車両に設置を完了した[23]。, 1969年(昭和44年)5月30日に『新全国総合開発計画』が閣議決定された。この中で主要開発事業の構想として「東京から高崎を経て日本海沿岸地帯を結ぶ上越新幹線鉄道の建設を進めるとともに」[24]と、現在の上越新幹線に相当する新幹線鉄道の建設構想が盛り込まれた。, 1970年(昭和45年)5月に全国新幹線鉄道整備法(以下は全幹法と略記)が公布された[25]。この法律により、逼迫する幹線の輸送力増強を目的とした東海道・山陽新幹線とは異なり、経済発展や地域の振興を目的とした新幹線の建設が行われるようになった。1971年(昭和46年)1月に全幹法第5条第1項の規定による「建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画」(昭和46年告示第17号)により東北新幹線(東京都 - 盛岡市)、上越新幹線(東京都 - 新潟市)、成田新幹線(東京都 - 成田市)の基本計画が公示された[26]。この基本計画において上越新幹線は東京都を起点に新潟市を終点とすることが示された[27]。同年4月1日に3路線の整備計画が決定された。上越新幹線は最高設計速度260 km/hとされ、建設主体は日本鉄道建設公団とされた[25]。, 1971年(昭和46年)10月12日に上越新幹線 大宮 - 新潟間の工事実施計画(その1)の認可申請が行われ、14日に認可、12月に上越新幹線の工事に着手した[28]。工事実施計画その1において、「東北新幹線のターミナルを東京駅、上越新幹線のターミナルを新宿駅に設け、この両ターミナルより大宮駅に至る路線を建設」とされ、また「線路容量、ターミナル容量は十分であるので」「東京(新宿)・大宮間の線路の建設については、別途工事実施計画を提出する」こととされ[29]、現在に至っている[30]。開業当初は最高速度210 km/h、12両編成の計画であるが、最高速度260 km/h、大きな手戻りなく16両編成に対応できる建設基準であった[31]。, 1973年4月26日から、東京都北区と埼玉県戸田市・与野市・浦和市(与野市と浦和市は現・さいたま市)などで非常に大規模な反対運動が発生している。工事地内への見張り櫓の建設、居座り行動、デモ行進、国鉄説明会打ち切りなどが実施され、東北・上越新幹線の騒音対策や埼京線の快速停車駅数など地元の要望が実現化するきっかけとなった。この一連の反対運動を「東北・上越新幹線反対運動」という。詳しくは該当ページ及び埼京線#当時の沿線住民の反対運動を参照。, 認可時点での完成目標は1976(昭和51)年度であったが、オイルショック後の経済悪化や国鉄の経営悪化などにより、1977年(昭和52年)には完成目標が1980(昭和55)年度に、1981年(昭和56年)には完成目標が1986(昭和61)年度に繰り下げられた[32]。, 1979年3月20日には建設工事中だった大清水トンネルの保登野沢工区(県境付近から群馬県寄り約5キロ付近)で火災が起き、16名の死者を出した(この入口は「保登野沢斜抗」として点検等に使用されており、隣接して殉職の碑が建立されている)。そして、中山トンネル工事中に2回の異常出水事故が発生した[2]。迂回のトンネルを掘るなど工事は難航した。, 1980年(昭和55年)11月以降、先行して長岡駅 - 新潟車両基地での実車走行試験や雪対策試験が行われた[33]。同年12月には東北・上越両新幹線の開業を1982年(昭和57年)春とし、仮の始終着駅を大宮駅とすること。大宮駅 - 上野駅間の開業を1984(昭和59)年度とし、東京駅 - 上野駅間についても引き続いて完成に努力することが発表された[34]。翌1981年(昭和56年)12月には越後湯沢駅 - 長岡駅間でも実車走行試験や雪対策試験が行われ、難航していた中山トンネルが貫通した[33]。, このために[独自研究?
Jww 文字色 印刷 4, L'arc En Ciel Mmxx Wowow 15, ナルト 実力 隠す 小説 4, 世界一周 夫婦 その後 11, 黒い砂漠 航海 貿易 7, C言語 Char 文字数 14, Step On Fire グラブル 歌詞 31, 里崎 プロスピ セリフ 47, Cubepdf 文字 薄い 12, Unity Iphone 画面サイズ 25, Carbon8 Cz75 不具合 31, あつまれどうぶつの森 海外版 違い 4, Sql Server 圧縮 データベース ファイル 違い 4, ドッカンバトル オート周回 Iphone 6, グラフ作成ソフト Mac 無料 4, Boss ラジオcm セリフ 6, ジムニー 改造 ブログ 14, タロット 星 人物 4, Gpd Pocket 改造 Ssd 16, ヴェゼル フォグランプ 付け方 5, Ff ミッションオイル おすすめ 7, ステップワゴン Rp バッ直 7, ランニング 体に悪い 2ch 7, ラムダッシュ 洗浄機 臭い 18, 男 胸 脂肪 つける 8, 二人目 性別 ジンクス 6,